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浪花節だよ人生は:演歌の源流を探る


(c) .foto project

今年の紅白歌合戦、細川たかしの歌唱曲は『浪花節だよ人生は』に決定しましたね。紅白でのこの曲の歌唱は通算5回目となりました。『浪花節だよ人生は』は1976年に小野由紀子の歌唱によって世に出ましたが、その後1980年代に細川たかしをはじめ、水前寺清子や都はるみなど多くの歌手、レコード会社による競作が行われました。この有名なナンバーに限らず、演歌においてたびたび登場する「浪花節」とは一体なんだろうか、そう思ったことはないでしょうか。かつてそう思った一人として、今回は「浪花節」についてと、「浪花節」と「演歌」の結びつきについて書いていきたいと思います。

「浪花節」とは何か?

「浪花節」は「浪曲」とも呼ばれる大衆芸能の一種です。明治初頭、大阪の芸人、浪花伊助の名から「浪花節」と呼ばれるようになったといいます。浄瑠璃や説経節など古くより伝わる芸能の要素を融合し、当時流行しました。

その上演形態の共通性から、落語や漫才、講談といった話芸と同様に考えられることが多いですが、浪曲はそれらに比べて音楽としての要素が強いといわれています。浪曲ではひとつの物語が浪曲師によって「節(ふし)」と「啖呵(たんか)」を用いて表現されます。浪曲の「節」はいわゆる歌唱パートであり、「啖呵」は台詞を話すパートになっています。とりわけ浪曲師の声質は重要で、良いとされる声は「寂声(さびごえ)」と呼ばれます。「寂声」とは、澄み切った美声ではなく、閑寂・枯淡と表現されるような、長い修練の重みが感じられる枯れ声のことです。この「寂声」は浪曲師の生命線であるといわれ、プロとアマチュアを大きく隔てる壁でもあります。

また、庶民的な義理人情に訴えるような演目が多いことが特徴です。このことから転じて、「浪花節」という言葉は「義理人情に流されるようなこと」の比喩となっているのです。

桃中軒雲右衛門や二代目広沢虎造、二代目・吉田奈良丸らの活躍した20世紀初頭には浪曲の芸術的な価値が高まり、黄金期を迎えます。この時期頻発した民放ラジオ局の開設も相俟って、戦前のこの時期浪曲は大衆に熱狂的な支持を得ることとなりました。

三波春夫と村田英雄と二葉百合子:「歌謡浪曲」から「演歌」へ

戦前に全盛を極めた浪曲も、戦後になると勢いに翳りがみえはじめます。1957年6月の新聞紙上にはすでに「地方でも浪曲興行は不振」という記事が書かれていたといいます。そんな中、登場したのが「歌謡浪曲」というジャンルでした。1955年、浪曲師の芙蓉軒麗花が『ろうきょく炭坑節』を発表、20万枚の大ヒットを受けます。浪曲師の歌う歌謡曲は「歌謡浪曲」として親しまれるようになり、浪曲師の歌謡デビューが相次ぐようになります。

なかでも大成したのは、三波春夫と村田英雄、二葉百合子の三人です。

三波春夫は、南条文若として1939年、16歳のころに浪曲師としてデビューしています。戦後、浪曲の衰退のさなかに歌謡界に参入することを決心した彼は、三波春夫と芸名を改め、『船方さんよ』、『チャンチキおけさ』でデビューしています。その後第1回エントリーで取り上げた『東京五輪音頭』などのヒット曲を排出、歌謡界を牽引していきます。

村田英雄もまた酒井雲坊という名で浪曲師として活動していました。歌手としては、1958年、『無法松の一生』でデビューします。同じ浪曲出身の三波春夫とはライバル関係として知られています。『王将』など、人情あふれる男気を感じる歌は魅力的です。

二葉百合子は『女国定』で1957年に歌謡デビューしています。シベリアからの息子の帰国を待つ母の情を歌った『岸壁の母』が特に有名ですね。弟子として、石川さゆり、坂本冬美、藤あや子、島津亜矢などその後の演歌を担っていく歌手たちが知られています。

人情味豊かな世界観を描く浪曲が、コンパクトに凝縮された浪曲歌謡になり、それはいつしか「演歌」に結びつきます。「演歌」の成立には、戦前から活動する古賀政男の作品が大きな影響を持っています。しかしながら、初期の古賀メロディを担った歌手は藤山一郎や霧島昇、伊藤久男など音大出身の西洋音楽を基盤とした歌手たちで、彼らの歌った楽曲は「流行歌」と呼ばれ、「演歌」とは異なるものでした。一方、現在の「演歌」は、「日本の心」であるといわれます。日本らしい雰囲気の醸成には、古賀政男が好んで用いたヨナ抜き音階などの要素に加えて、純邦楽的な要素が欠かせなかったのでしょう。浪曲のテーマや「寂声」の世界もまた、その日本的な要素として、「演歌」の成立と大きくかかわっているのではないでしょうか。戦前から活躍していた流行歌手、淡谷のり子が「演歌嫌い」を公言していたのも、こういった背景があるのではないかと思います。

「人生劇場」は不滅である:義理と人情の世間

義理とは、「人から受けた恩は必ず返さねばならない」など、世間で善く生きていくうえでの道理を示す倫理的な言葉です。対して、人情は人間のありのままの情感を言葉です。

二つの言葉は時に背反します。それを考えるのに、わたしの好きな歌謡浪曲の一曲、村田英雄の『人生劇場』に着目したいと思います。この歌では、「男の世界」と「女を想う世界」が対立しています。「男の魂」は義理と関連させられており、そのことから「女を想うこと」は人情の範疇としてわたしは読んでいます。曲の主人公は、女に「男ごころ」を理解してもらうことを泣く泣くあきらめます。「男ごころ」の世界で、義理を果たすためでしょうか。主人公の男は、義理と人情の狭間に苦しみ、悩みながらも義理を守ります。

このどうにもならない苦悩の様子に、わたしは深く共感してしまいます。果たさなければならない責任と、自分の思いとの葛藤は、現在わたしたちが生きていく中で日々体感することだからです。自治体、仕事場、学校・・・わたしたちは何らかの共同体に属して、集団生活を送っています。その生活の中で、何らかの義理を抱えることでしょう。そして、その構成員でいる限り、個人の思いは必ずどこかで義理とぶつかります。

ゆえに「人生劇場」は不滅なのです。「義理と人情のこの世界」といって結ぶこの曲において、主人公はそんな世界を「男」として力強く生きていこうとする生き様が垣間見れるように思います。そんな生き様は人を強く惹きつけます。わたしもまた、男の一大舞台の恰好よさに魅せられた一人です。

『浪花節だよ人生は』を歌った一人、木村友衛は浪曲出身の歌手でした。この曲を自分の人生の引き写しのように感じたという木村友衛は、この曲の作曲者の藤田まさとに直訴してこの曲を歌い始めました。彼女の歌ったバージョンは1984年には50万の大ヒットとなり、これが引き金となって先述の競作が行われるようになります。木村友衛に限らず、わたしたちが感じ入ってしまうような「人生」が、浪花節の語る義理人情の世界には存在しているように思います。だからこそ、ある時期、「演歌は日本の心」としてたち現れるのです。

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この記事へのコメント

- Mr・へぼい - 2013年01月17日 21:45:53

う~む。 毎回、プロのコラムニストのような記事、
食い入るように、拝読させて頂いております。

ご活躍、期待しております。

Re: タイトルなし - 木野 - 2013年02月08日 02:12:19

> Mr.へぼい様
コメントありがとうございます!
そのように言って頂けると幸いです。
最近は本来の活動の方が忙しく、ブログを更新出来ておりませんが、今後ともよろしくお願いします。

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プロフィール

木野

Author:木野
心を締め付けて離さない、昭和の名曲たち。
真剣勝負、熱狂した紅白の舞台。
貧しくても、広大な夢の広がっていた時代。
そんな過去を追い求めて、平成の今を生きる一人の若造です。

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