スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大晦日に使える紅白歌合戦「豆知識」:紅白ルーツのあれこれ


(c) .foto project

年の瀬が差し迫り、忘年会やらクリスマスやら一年の総決算に奔走する時期がやってきました。これらのイベントはベタですがなんだかんだと楽しいもの。そんな年末イベント群の中で、わたしが最も楽しみにしているのはやはり大晦日。歌謡の大舞台、紅白歌合戦があるからです。毎年豪華なラインナップの歌声を聴けるのはもちろんなのですが、徹底的に創り上げられた舞台はまさに「様式美」、一年を終え、次の年へと向かうのに欠かせない行事だと感じています。このエントリーではそんな紅白の舞台に欠かせないあれこれを深掘りします。ご家族と、友人たちと、恋人と・・・だれかと一緒に紅白を楽しむ方も多いかと思います。そんなとき、今回のエントリーで得られるちょっとした「豆知識」を披露できるかもしれません。

「誰が選ばれ、何を歌うのか?」:一年を象徴する紅白の歌

紅白歌合戦では「誰が歌うのか?」「何の曲を歌うのか?」ということについて、毎年大きな話題を呼ぶところです。

歌手の選出については、基本的にその年を代表する歌手が選出されます。しかしながら、老若男女楽しめる番組作りを意識して、社会的・道徳的な基準に照らし合わせた選出が見られることがあります。この傾向は古くは1960年代に遡る事ができ、グループサウンズが若者の心を捉えていたころ、ロックの長髪の文化が「不良的」であるとして「ザ・タイガース」などの時の人気グループが選出されなかったという経緯があります。なお、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」は、短髪とおそろいのスーツ姿が評価され、1966年「青い瞳」、1967年「ブルー・シャドウ」、1968年「草原の輝き」で紅白に出演しています。

選曲についても、その年の新作、ヒット曲が原則とされています。しかしながら、活動歴の長い演歌・歌謡曲系の歌手は往年のヒット曲を歌うことが多いかと思います。選曲についてはNHK側から指示が入るため、必ずしも歌手本人の意向とはそぐわない場合があります。布施明は2009年、紅白出場の勇退の意思を表明しましたが、その理由として、「(自身の)歌唱曲が固定されている」、「後進の歌手に道を譲りたい」と発言しています。

今年の紅白も、出演順と歌唱する楽曲が発表されたばかりで大いに盛り上がりを見せています。一年を総括するパフォーマンスが今年も見られるか、楽しみです。

日本人はいつから「大晦日は一家で紅白」か?

テレビで紅白歌合戦を見て、そばを食べながら、一年の終わりを過ごす・・・そんな光景がわたし達日本人の普通の過ごし方としてすぐに思い浮かびます。

しかしながら、紅白歌合戦は当初、ラジオ放送で、かつ大晦日ではなく年明けの正月に行われていたものでした。1951年、正月に放送された第一回の際には一度きりの番組の予定でしたが、反響が大きかったため恒例化していくこととなりました。第三回からはテレビ放送化され、第四回からようやく現在の大晦日開催のスタイルが定着します。大晦日開催になった理由としては、年末年始に大きな会場が空いている日が大晦日しかなかったというのがひとつの理由として挙げられています。それもそのはず、現在の紅白の会場であるNHKホールはその当時まだ無く、東京宝塚劇場や日本劇場などの貸しホールを転々としなければならない状況にありました。

様々な因果のめぐり合わせによってたまたま現在の形に収まった紅白。しかし一度行われてしまうと、これほど年越しにフィットするイベントもほかにないのでは思います。事実、時代が昭和から平成へと移行しようとしていたころ、紅白は一度打ち切りを検討されたことがありましたが、それに対して視聴者から非難の声が続出しました。年明けの初詣のように。あるいは七五三や成人式のように。その日を彩る出来事として一度定着したイベントは、そう簡単に無くなったりはしないのです。

男と女が戦う日

男女のチームに分かれて勝敗を争うのが紅白歌合戦のメインコンテンツです。進行中には各司会による煽り合いが行われ、男女一組ずつの「対戦」が行われます。かつては選手宣誓や優勝旗の返還などがあり、勝敗により大きな意味づけがされていました。現在ではデジタル投票で会場外の視聴者も参加できるようになり、勝敗の結果もマスコミなどで大きく取り上げられるなど依然として人々の関心の的でもあります。

紅白のこの形式のルーツは1945年に遡ります。時はGHQ占領下の日本、新しい音楽番組を模索していた当時のNHKディレクター近藤積と三枝健剛によって「紅白音楽試合」という番組が考案されました。当時のキーワードはスリーS(Speed, Sexuality, Sports)であり、音楽を通じた対決という新しいエンターテインメント感覚を含んだ番組でした。この番組の好評を受けて、1951年の第1回紅白歌合戦がはじまります。

この最初期のコンセプトはいまでもなお紅白が特別なものとしてある理由でもあるかと思います。例えば、スポーツは基本的に男女で別々に競技が行われます。身体能力に差が出てしまうなどの理由があり、男女で争っても仕方がありません。しかしながら音楽では、それが可能です。男と女に分かれて対決するということは、現代のわたし達にとって実は非常に貴重なことなのではないか、と思うのです。

「紅白に住む魔物」:徹底されたステージ

かつて、紅白にバックコーラスとして出演した友人が言っていました。

「進行がすごいんだよ。リハーサルとかさ、アーティストとかは忙しいからなかなかこれないじゃん?だからNHKの人が例えば『北島三郎』って書いてある札を下げて、その人が言う予定の『発言』をするんだよ。」

紅白は長時間に渡る生放送であり、それに耐えうる進行を行う必要から一切が台本化されているといいます。そのため、上記の友人が体験したような厳格な進行が行われているというわけです。

そのような背景もあり、その台本からの逸脱、ミスは大きな話題を呼びます。なかでも1984年の第35回紅白歌合戦の際、大トリの都はるみの歌唱後、総合司会の生方恵一アナウンサーが都はるみのことを「美空・・・」といってしまった「ミソラ事件」は非常に大きく取り上げられました。このとき、都はるみは引退を表明していたため最後の紅白のステージという局面であったためこのミスは人々の印象に強く残ったようです。その後生方アナウンサーは大阪に転勤、ついでNHKを退職したため、事が大きくなりました。それに関して、1995年・第46回から2000年・第51回までに司会を務めた宮本隆治は「NHKホールには魔物が住んでいる」「これまで多くの魔物が先輩の司会者達を苦しめて来た」と語っています。

このように厳粛に行われる紅白ですが、1970年代ごろまではアドリブなども行われていました。例えば、1970年・第21回のときには、司会の宮田輝が橋幸夫に対して歌う楽曲の変更を持ちかけるというエピソードがあります。

友人はこうも言っていました。

「本番中とか、NHKのスタッフさんとかがすごいイライラしててさー。めちゃめちゃ怒鳴ってくるんだよ。でもさ、いざ歌合戦が終わると、人が変わったかのように『よかったよー』って笑顔で。まるで何かから解放されたみたいだった。」

紅白のステージの裏には、歴戦のプロフェッショナル達さえも飲み込んでしまうほどの緊迫した世界があります。その徹底して完成を求める姿勢があるからこそ、紅白は一年を締めるのに相応しいエンターテインメント番組として人々に受け入れられているのでないでしょうか?

紅白歌合戦で一番歌われた歌は?

これまで紅白で一番歌われた歌とはなんでしょうか?

・・・それは、間違いなく「蛍の光」でしょう。

なんとなく日本の伝統歌と思われがちなこの曲ですが、実はスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」という曲に新たに稲垣千穎が歌詞をつけたものです。この曲のメロディは以前のエントリーで取り上げた古賀政男が好んで用いた「ヨナ抜き音階」で構成されていることで知られています。この「ヨナ抜き」のメロディが日本の伝統音楽とも通じるためでしょうか、1881年、時の文部省はこの曲を尋常小学校の唱歌として採用しました。以来、国民の歌として愛唱されるようになります。

こうした経緯からか、国民的歌番組である紅白歌合戦では、第一回からほとんど毎回フィナーレに歌われています(唯一、東京オリンピックを翌年に控えた1963年・第14回は第一回のエントリーでも取り上げた「東京五輪音頭」が歌われました)。

この合唱を指揮してきたのは藤山一郎、宮川泰、平尾昌晃の三人です。

藤山一郎は高い歌唱技術を持った戦前からの歌謡界の大御所です。代表曲には、第一回でも取り上げた「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」、または「東京ラプソディ」、「青い山脈」など多数あります。歌手としては第1回から第8回、第15回、第40回と参加しており、第1回では「長崎の鐘」を歌いトリを務めました。NHK紅白歌合戦の演奏をする「東京放送管弦楽団」の常任指揮者としても知られており、合唱の指揮は1951年の第1回から1992年の第43回まで担当していました。

宮川泰は戦後の日本ポップス界に数々の名曲を残した作曲家・編曲家です。広くはザ・ピーナッツの「ふりむかないで」、「恋のバカンス」などの作曲家として知られています。個人的な愛唱歌はアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌ですね。「ヤマト」のBGM全般を手がけていることでも有名です。わたしの一番印象に残っているのはこの人で、大振りな指揮のスタイルが派手で年末のお祭り感が楽しかったなとしみじみと思います。

平尾昌晃は戦後のロカビリーブームを率いた歌手であり、作曲家としても有名です。1958年2月8日の「日劇ウェスタンカーニバル」をきっかけに火がついたロカビリーブームの最先端として「星は何でも知っている」「ミヨちゃん」などで大ヒットし、紅白にも過去4回歌手として出演しています。ロカビリーブーム後は作曲家としても活躍するようになり、以前のエントリーで取り上げた布施明の「霧の摩周湖」などの名曲をこの世に生み出しています。

それまでの「男女で争う」という対立の構造が、この合唱をもって瓦解していくさまは、「また手を携えやっていこう」という新たな一年を象徴するかのようで、気持ちのいい瞬間だと毎年思います。

いかがだったでしょうか?

昭和期に誕生した紅白歌合戦も今年で63回目になります。様々な意見はあれど、いまや日本人の大晦日の風景を彩る「伝統行事」であることは間違いないでしょう。年越しそばを食べ、除夜の鐘を聴き、「明けましておめでとう」といい、次の朝には初詣、おせち、年賀状・・・何一つ「こうあらねばならない」という合理的な理由はありません。しかし、そんないかにも「日本らしい」行事に身を投じることで、ほっとする安心感をわたしは感じます。それら一つ一つに確かな理由はなくとも、それら全てが描き出す「日本的な雰囲気」は、やっぱり自分のよって立つ「心の故郷」なのではないかと思うんですね。昨年の大晦日はわけあって海外で過ごしましたが、気づいたらチャイナタウンで醤油やそばや数々の食材を買って紅白の実況を見ていて戦慄した思い出があります。紅白歌合戦も、その伝統があるかぎり、わたしたちにとって何より安心して楽しめるエンターテインメントとして存在し続けるのだと思います。今年も是非、一緒に紅白を楽しみましょう!

この記事へのコメント

- Mr - 2012年12月23日 19:28:15

キノ タケトさん、こんばんは。

私の住まいは、かなりの田舎にありますが、
ご近所の翁曰く、

演歌は少なくなっているが、孫らと
紅白みてしまうんだよね~。

と話していたのが印象的です。

Re: タイトルなし - キノ タケト - 2012年12月24日 11:32:05

Mrさん、コメントありがとうございます。
紅白のカバーしている年齢層の広さの凄さを感じますね。
自分が幼かった頃、同じようにして祖父と一緒に見た紅白を思い出します。

ご高齢の方と、そのお孫さんぐらいの方が一緒に見られる音楽番組ってそうはないのではないかと思います。
そういった意味でも紅白は貴重ですね。

トラックバック

URL :

カテゴリ
プロフィール

木野

Author:木野
心を締め付けて離さない、昭和の名曲たち。
真剣勝負、熱狂した紅白の舞台。
貧しくても、広大な夢の広がっていた時代。
そんな過去を追い求めて、平成の今を生きる一人の若造です。

最新記事
最新コメント
ランキング
FC2ブログランキング
オススメ!
懐かしのNHK紅白歌合戦
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。