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悲しき冷帯:演歌・歌謡「北」「冬」の名曲10選


(c) .foto project

最近は日が落ちるのも早くなり、街を歩けば色の染まった葉が舞う景色が目立ちます。わたしの故郷、北海道ではすでに雪が積もったとの便りが届きました。都会で一人暮らしていると、故郷にいるときはあれほど煩わしく思えた雪や北風もどこか懐かしく思い出されます。思えば、「北」、「冬」、「雪」などをテーマにした楽曲は、結構多いです。「津軽」、「函館」など、北の名所を取り上げた楽曲も目立ちますね。今回は寒い冬に染み入る演歌・歌謡曲を10曲セレクトしました。

①知床旅情(1960年)森繁久彌

この曲の原曲、「オホーツクの舟唄」は、1960年の映画「地の果てに生きるもの」の撮影中に森繁自身が作詞作曲しました。森繁久彌は1962年の第十三回紅白歌合戦に出場しています。飾らない歌声で歌われる知床の純朴な情景は大変心地よいです。人はそれを「歌心」と呼ぶのでしょう。この曲、この声を聞くと、「北」の故郷の匂いで鼻腔が刺激されるかのように感じられます。

②北帰行(1961年)小林旭

「マイトガイ」が歌うさすらう旅人の歌。「北へ帰る 旅人ひとり」と感傷的なカッコよさのある曲ですが、ここでいう「北」は北海道や東北のことではありません。この曲はかつて作曲者の宇田博が旧制旅順高等学校在籍時に寮歌として歌われていました。つまり、「北」のもともとの意味は旅順のある中国東北部ということですね。戦後、日本国内の歌声喫茶などで流行歌として愛唱されるようになり、その流行を受けて小林旭がレコードに歌を吹き込んだという経緯があります。作者の体験に基づく特定の場所を表していた「北」は、歌い継がれる中でその意味をどんどん抽象化されていったのではないかと思います。だからこそ、歌声喫茶で広く親しまれるナンバーとなったのではないでしょうか。

③函館の女(1965年)北島三郎

「はるばるきたぜ 函館へ」の歌いだしが有名な楽曲。遠い地から訪れた男の高揚感と、一方で思いを寄せていた女には会えなかったという状況への嘆きが交じり合った微妙なニュアンスが感じられます。この曲を作詞した星野哲郎は作詞家業に至る以前、日魯漁業(現ニチロ)の船員をしていました。海の感覚、街の土地勘があればこそか、北の港町の情景が繊細に描かれています。北島三郎の豊かな声量から繰り出される歌声は高らかに響き渡り、爽快感を感じます。

④霧の摩周湖(1966年)布施明

布施明の叫ぶような歌声が印象的な一曲。この曲のヒットで、神秘的な道東の湖、摩周湖の知名度が高まったといいます。主人公は、失恋の悲しみをぶつけに旅だった一人の男。ここに思い出はなく、湖は「ちぎれた愛の思い出さえも」映し出してはくれません。霧の中に幻を見たのか、女の名前を呼びかけても、返ってくるはずもなく、幻は霧の中に溶けて消え、こだまだけが響き渡ります。わたしが生まれ育ったのも霧の多い街でした。普段ならはっきり見える建物や看板、行き交う人の顔も、霧の中ではすべてがぼやけてしまいます。そんな霧の感覚があるからか、この歌を聴くと感傷が霧に溶けていくような想いにしみじみと感じ入ってしまいます。

⑤小樽のひとよ(1967年)鶴岡雅義と東京ロマンチカ

1968年の年間4位の売り上げを誇るムード歌謡。甘いコーラスワークに乗せて語るムード歌謡は、夜のキャバレーを想起させる大人の男と女のロマンチズムにあふれています。男は星空を見て「しばれる」と一言。「しばれる」は北海道の方言で「寒い」という意味です。北海道は男の故郷なのでしょう。遠く離れた東京から遠く離れた地で待つ女を思う感傷が、儚く描かれています。

⑥襟裳岬(1974年)森進一

森進一の代表曲であり、1974年の第十六回レコード大賞を受賞したことでも知られる一曲。フォークソングの第一人者、吉田拓郎が作曲をつとめたことでも話題となりました。「襟裳の春は何もない春です」というのが印象的なフレーズですが、都市と比べ「何も無い」ことこそが価値なのだという郷愁の捉え方として非常に刺さるものがあります。曲と歌詞はフォークソング的ですが、森進一の歌唱力と高音域の発声によって演歌らしく歌われています。作曲者の吉田拓郎本人が歌ったバージョンも存在し、こちらは明らかに雰囲気が違います。不思議とどちらも絶妙にマッチしており、聴き比べてみると面白いです。

⑦北の宿から(1975年)都はるみ

都はるみ三枚目のミリオンセラーで、1976年の第十八回日本レコード大賞に輝いた楽曲。作詞家の阿久悠はこの曲の主人公の女性について、「自ら男への思いを断ち切る強い女性」を想定していたといいます。しかしながら、「あなた死んでもいいですか」の一言に象徴されるように、非常に強い情念に駆られた女が描かれているようにも感じられます。この曲の「北」は、強い「淋しさ」比喩なのでしょう。すすり泣く様な深いビブラートなどの技法を操る都はるみによって、歌詞は迫真の「淋しさ」へと昇華され、わたしたちの涙を誘います。

⑧津軽海峡冬景色(1977年)石川さゆり

昭和を代表する作詞家・阿久悠の傑作としても知られる一曲。この曲では、「北海道」と「東京」の対比が、そのまま「別れ」と「恋」となっており、本州と北海道を繋ぐ津軽海峡連絡船は、男のいる本州から女を切り離す最後の場面を端的に表しています。別れの淋しさの心情を表すのは、厳しい津軽海峡の寒さ。現在、北海道と東京の行き来は飛行機が主流。別れの場所は津軽ではなく羽田空港です。そこには身の凍る寒さはありません。

⑨風雪ながれ旅(1980年)北島三郎

北海道は上磯郡出身の北島三郎には、「なみだ船」「北の漁場」「函館の女」「北の大地」などなど数多くの北の名曲があります。なかでもこの「風雪ながれ旅」、登場する地名が大変ローカルで、北国出身者の心をくすぐります。「津軽」、「小樽」、「函館」なんかはわかるのですが、「苫小牧」、「留萌」はては「滝川」などのマニアックな地名が歌われ、それらの景色が目に浮かぶわたしとしてはとてもうれしくなってしまいます。放浪の三味線奏者の哀愁の姿は、肌に痛い北風の冷たさを彷彿とさせます。

⑩望郷じょんから(1985年)細川たかし

1985年発売の細川たかしの代表曲で、彼の紅白出演歴の中では「浪花節だよ人生は」と並んで最も多く歌唱されています(現在まで4回)。イントロの三味線の調べで一気に先の見えない白銀の吹雪の中に引き込まれます。「津軽雪ん子 舞い飛ぶ頃よ」とはじまる望郷の唄はわたしの知る雪国の景色と重なり、厳しい自然と暖かい故郷の人々を想起させ目頭が熱くなります。師の三橋美智也ゆずりか、細川たかしの朗々とした歌唱が魅力の一曲。

これらの楽曲の中で、「北」の描かれ方は①「ふるさと、誰かが待つ土地」と②「感傷旅行の旅先」という二つがあったのではと思います。この二点に共通するのは、「現在の場所(=都会、東京)」→「故郷、旅先(=北国)」という「場所の移動性」です。これには、戦後の高度経済成長とそれに伴う人々の趣向の変化が大きく関わっているのではないかとわたしは考えています。

高度経済成長期の1950年代から1960年代にかけて、東京、名古屋、大阪などの都市圏への急激な人口移動が生じました。これは、年10%の経済成長を続ける社会の情勢から、多くの労働力が都市に流入したためです。また、国民の所得は年々増大し、大量消費時代の足音が聞こえてくるのもこの時代です。1964年には東海道新幹線が完成、1970年の大阪万博を経て、多くの国民が個人旅行に目を向け始めます。一人旅をする若い女性が増えたのもこのころで、「アンノン族」という言葉が話題になります。これを受け、当時の国鉄は1970年の「ディスカバー・ジャパン」など、国内旅行を推奨するキャンペーンを行うようになります。これらより、地方に眠っていた多くの「日本」が「再発見」されるようになります。

「北」は、古き良き日本の原風景という「ぬくもり」と、吹雪舞う厳しい自然の「つめたさ」が同居する両義的な存在です。都会の生活の中で、故郷で待つ人々の姿に思いを馳せるのはどれだけ「ぬくもり」を感じたでしょうか。悲しい別れを表すのに、「つめたい」北風はどれだけ相応しく感じられたでしょうか。演歌・歌謡で歌われるふるさととしての「北」は、盛り上がる高度経済成長以後の日本の舞台裏で、多くの人々の涙を代弁しました。その「ぬくもり」と「つめたさ」は、北国を離れ都会に一人暮らす現代のわたしの心をも捕まえて離さないのです。

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プロフィール

木野

Author:木野
心を締め付けて離さない、昭和の名曲たち。
真剣勝負、熱狂した紅白の舞台。
貧しくても、広大な夢の広がっていた時代。
そんな過去を追い求めて、平成の今を生きる一人の若造です。

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